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仮説・持論

LGBTQへの暴力や暴言は問題だが区別は必要

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LGBTQとは

性的指向:いずれの性別を恋愛や性愛の対象とするかといった概念。
性自認:生物学的性に関わらず自分の性別をどう感じているか、自己の性別に関する認識。

L(レズビアン=女性同性愛者)
G(ゲイ=男性同性愛者)
B(バイセクシュアル=両性愛者)
T(トランスジェンダー=生まれたときの法的(生物学的)・社会的性別とは一致しない、性同一性障がいも含む)
Q(クエスチョニング=性的指向や性自認がはっきりしたくない、決めたくない)

LGBTQの人びとに対する日本における人権侵害
常に言葉による虐待
学校でのいじめ
雇用、居住もしくは医療サービスの拒否
LGBTQの人権を求める活動に対する脅迫

日本は先進国の中ではLGBTQの人達に対する法的整備が遅れているとよく言われている。
ただ、無宗教者が多い日本では、宗教的迫害や国家権力による迫害は少ないともいえる。
それでも、法整備が遅れているが故に、公共サービスで問題が生じる事は多々あるようで、一刻も早い解決が望まれる。

LGBTQが住みやすい社会へ

コミュニティでの迫害はもってのほかだが、LGBTQだからといって区別してはならないことがやはりある。

LGBTQ支持団体には下記の様なことが差別とされる例が散見される。
  • 「パートナーが意識不明に陥り入院した際、同性パートナーであったため、病院や医師から安否情報の提供や治療内容の説明を受けられず、面会も拒否された」
本当にこんな悲しい事が日本の病院であるのだろうか。
例えばカップルではなく、身寄りのない者同士で共同で住んでいる者でも拒否されるのだろうか。
同性愛者に関わらず、衣食住を共にしている者は全て拒否されるべきではないと思う。
  • 「同性パートナーと公営住宅への入居を申し込もうとしたが、同居親族に当たらないとして拒否されたケース」
これは二人して養子を育てているような場合は、絶対に拒否してはならないと思う。
養子を伴わないケースの場合は、公営住宅を建てた時の利用目的にもよるが、その目的が子育て支援や少子化対策でなければ、同性パートナーに限らず、友人同士でも共同生活者として受け入れられる様、法律を改正する必要性は大いにあるように思う。


別途考慮するための実費を支払えば考慮すべきではないかと思える事。
  • 「高齢者向け施設において、男女別に施設運営がされていることから、性別に違和感を抱えていることを施設に伝えても考慮されず、戸籍上の性別で分類され精神的な負担が大きかった」
庶民の高齢者施設は職員さえもギリギリで働いているのに、金銭的自己負担なくどのような優遇処置をとってくれと言うのか分からないが、負担をしっかりするなら特別扱いも良いと思う。

LGBTQ差別を理解できない人もいる

人種差別や男女差別、逃れらない容姿の人達への差別への理解はできるが、LGBTQは全く別物であると考える人たちは多い。

自分の子供が成人する前にそちらの世界へ引きずり込まれるのは許しがたい人はたくさん存在するのも事実である。

保守的な人は、自分の子供たちがLGBTQの人達のそんな性被害に会う事を恐れている。
そして仲間入りしてしまう事も。

LGBTQは、恋愛や性愛の対象を前面に出すから気持ち悪くなるのだ。
「生理的に受け入れられない」というやつだ。
逆にそういう態度を取らないと、弱いストレート(ノーマル)からすると、強いLGBTQに言い寄られたり、犯される可能性も消せないからだ。

受け入れられない異性に対しても、そういう態度をとるのだから、至極当然と言える。
「気持ちわるい、近寄るな」的な。
それはイジメや差別発言かもしれないが、防御本能としては否定しにくい行動だと言えるのではないだろうか。
もちろんそんな態度を、危害を加えない「逃れられない容姿の人達」には言うものではない。

LGBTQの人達に対する嫌悪感は下記の様な場面でも如実だと言える。
トイレ・風呂・専用車両・女性競技等々、これらは区別されているから安心感がある。
異性や性的対象者とした目で見る人間がこれらの場所に入りこめば、LGBTQに属さない人達の精神的安定は存在しなくなる。

LGBTQの人たちが、このような公共の場所で、「目の保養になった」事を公言したりするのも嫌悪感が増す一因だろう。
ただ、仕方のない事実を公言しただけで、公言しなければ良いと言うものでもない。
「バイセクシャル」や、「ややレズビアン」や「ややゲイ」などは、どちらも性対象になり得るのだからとんでもないのだが、本人達の感情はどうしようにも抑えようがないだろう。
いや、実際には多くの人が押さえている感情をLGBTQの人達は押さえられないのかもしれない。

男女及びLGBTQの区別を撤廃するのであれば、江戸時代の銭湯の様に混浴にしてしまうしかないという事になる。
トイレも全てが同じで、女性専用車両も無くなり、女性の競技も無くす。
こんな世の中にでもしなければ、区別も差別はなくならない。

トイレや風呂はなぜ男女別になったのか。
犯罪の抑止である。

LGBTQに犯罪者はいないのか、否である。

もちろん、人道的にみて人として差別されるべきではない事については、どんどん要求するべきである。
人は容姿や指向だけで迫害を受けたりいじめられるべきではないし、尊厳を搾取されるべきではない。

同性婚と優遇は別問題

LGBTQは、同性婚における優遇を求める事は、特例を除いて辞めるべきである。
結婚においての優遇は、少子化対策や国の繁栄を基本として、多くの法案が国民の理解を得て通ってきた。
勿論、頑張っても子供を授かれない夫婦も沢山いるが、それをLGBTQがとやかく言う権利はない。

こんな事をとやかく言い出したら、友達同士でも結婚と同じ待遇にしてくれと言い出す人も出てくるのは必至である。

「人は一人では生きて行けない」、もっともだ。
もっともであるが、一人で生活している人はたくさん存在する。
コミュニティとして他人の存在が必要なのである。

しかしながら、共同で生活する事で優位に働くことも沢山ある。
なのでパートナーと一緒に住みたいという気持ちは分かる。
しかし、パートナーは性愛や恋愛対象でなくても良いのだ。
LGBTQに権利を与えるなら、友人同士の権利も認めるべきである。
こうしないと、色恋に関心がなかったり恵まれない人達の嫌悪感はどこまで行ってもぬぐえない。

友達だが親友なのでパートナーであり、セックスはしないし性的感情は皆無だが家族同様にパートナーを愛しているなどと言ってしまえば、LGBTQの主張と同じ土俵であると考えられる。

LGBTQ 性への目覚め 人間の多様性

LGBTQが差別されていると言うが、LGBTQの中でも、「LG」が「BTQ」を差別したりしている。
理由はシンプルだ。
半端だとか勝手だとか弄んだだとか、そんな痴情のもつれた感情によるものだ。
ややこしい者たちがややこしい者たちをややこしいと言う。

包括的にまとめ、差別をなくさせるために区別をなくさせようとするから、LGBTQに属さない人達は嫌悪感が増すともいえるかもしれない。

ちなみに動物の世界でもLGBは存在する。
性成熟したてやそれ以前の若い個体に多いと言う。
交尾を覚える前の興味本位から同性で楽しんでしまう。
はじめは興味本位でも、はまってしまう個体も出現する。

人間の未成年も同じように性への興味本位からLGB化してしまう事が多い。
幼少の頃は、特に同性への興味というより、身を守る意味でも同性と手を取り合い、一緒に過ごし、身を寄せ合っている内に、好きという感情が芽生えだす事がある。
そして性への目覚めで、それが好きという感情を持った相手の同性に向く。
同性の方が「何かと楽」なのも事実なので仕方ないかもしれない。

異性の場合は、そういう関係になる前に、一緒にいるだけで冷やかされたり、簡単にボディタッチも出来ない。
しかし同性の場合は、一緒にいても何もおかしくないし、ボディタッチも普通だし、気持ちの良い行為の話も共有できる。
そこからはまってしまう者が数%出現する事はあり得る話である。

性格やしぐさが男っぽい女、女っぽい男。
服装や髪型が男っぽい女、女っぽい男。
惹かれる異性が現れない。
こんなのが絡むとなおさらだろう。

更に人間はキュン(ドキドキ)としてしまう事がよくある。
対象はお構いなしだ。
人間同士だけではなく、動物や物や景色にまで。
しかしその対象が同性に現れると同性愛やバイセクシャルとなる。
多くの同性愛者やバイセクシャルが同性に「キュン」としたと証言している。

思春期の性への感受性は非常に高く、勘違いも起こりやすく、揺れ動いている。

しかも、性的対象は経験で変異していく場合も多く、成人したゲイやレズビアンでも異性経験をしてしまうと心に変化が現れたり、同じゲイやレズビアンでも、より同性っぽい人が好みであったり、少し異性っぽい方か好みであったり、至極複雑なものだ。

まったくセックスレスになってしまう夫婦が山の様に存在したり、キュンとしたことなどないが、結婚して子供を育てる為に夫婦になったりする事実がある事を考えると、同性でも愛を語り合える方がマシとも言える。

極端な事を言えば、性的マイノリティは他にも性や種を超え、動物などが対象の人も存在する。
セックスが出来る(愛せる)相手が何であるかで、人権以外の権利や、差別や区別の解消を要求するべきではないとは考えられないだろうか。

別に良いではないか、人生一度きりだ。
多いに楽しめば。

犬しか無理~、猫しか無理~、どっちもOK~。
別に茶化すつもりではないが、同じようなものでもあると理解できてしまう。

人類が差別や迫害を克服する日は来るのか

人は、肌の色の違い、言語の違い、男女+の違い、姿の違い、全てにおいて差別してきた歴史がある。

500万年前の人類誕生、初期の文明が地球上に存在して5,500年。
人種の違い、考えの違い、場所の取り合いで、途切れることなく差別や迫害や戦争をしてきている。

フランス革命の平等原則により奴隷制が1794年に廃止。
人類が差別と言う概念を少しづつ捨てだして230年ほど。
たった230年なのか230年も経ったと考えるべきか。
230年も経ったと考えると、未だに肌の色での差別が世界から消え失せたとは言えない状況をどう考えるか。
宗教による差別は3000年経っても消え失せない。
人類の愚かさか。

まずは男女性差別と人種差別の完全撤廃を考えるべきではないだろうか。
それを乗り越えたら、人類はLGBTQも、その他の差別も乗り越える事が出来るかもしれない。

ただ、もしかしたら、LGBTQの差別からの解放を訴える事で、まず女性差別や人種差別が無くなる可能性も否めない。

あらゆる迫害をなくす教育の重要性

人間は教育を受けることが出来る。
人間には七色の考え方があり、自分と違う事を理由に暴力や差別用語を使ったり、仲間外れにする事はいけないということを、教育として小さい頃から勉強するのは良い事だと思うし、それを勉強するために、全世界の教科書に記述する事は歓迎できる。
それにはまず全ての人類が教育を受けられる環境が必要ではあるが。

それでも差別はなくならないだろう。
人間には欲がある。
夢がある。
欲や夢の達成には犠牲がつきまとう。

しかし迫害を無くす事くらいはできるかもしれない。

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